水中のヒ素汚染を目視で判定できる微生物センサーを開発!

投稿者: | 2008年12月3日

都市部のように水質管理された水道が普及していないために井戸水を飲料水として利用している地域は、常に水質汚染の危険にさらされています。中でもバングラディシュやベトナムなどの発展途上国では、有害金属であるヒ素による井戸水の汚染が報告されており、地域の住民に深刻な健康問題を引き起こしています。一般的に環境水中の有害金属の検出は分析機器を用いますが、分析機器の設置された事業所は限られていること、委託分析にはコストや時間を要することなどを考慮に入れると、上記のような地域では汚染の有無を分析機器や専門的分析技術によらず利用者自身で簡易的に判定できる体制が望まれています。

そこで宇都宮大学農学部の吉田一之研究員、同大学院農学研究科修士学生の井上浩一さん、前田勇准教授(バイオサイエンス教育研究センター兼任)らはトマトやカボチャ、ニンジンなどに含まれる赤色や黄色の色素を作る色素合成経路を遺伝子組換えにより改変し、水中のヒ素汚染を分析機器によらず目で見て判定できる微生物(微生物センサー)を開発しました。この微生物センサーは水中の亜ヒ酸を感知して自身の色を緑色から赤色に変化させることができ、その色変化は専門知識を持たない人にとっても十分判別できるものであることがわかりました。世界保健機構(WHO)が定める環境基準である10 ppbレベルの亜ヒ酸を目で見て検出できることから、今後簡易的な水質検査法として実用化が期待されます。

この研究成果は、アメリカ微生物学会の学術誌Applied and Environmental Microbiology(2008年74巻21号)に掲載されました。
プレスリリースPDFファイルのダウンロード

PR2008-9_Fig1
図1:調べたい水と微生物センサー、培地成分を混合して培養すると、ヒ素が入っていない場合は緑色、ヒ素が入っている場合は赤色に色が変化します。この色変化は目で見て判定できるため、分析機器や他の専門的な分析技術を必要としません。

研究の背景と目的

微生物は、有害金属や有機化合物などの化学物質を感知すると、特定遺伝子のスイッチをオン・オフにする仕組みを持っています。遺伝子組み換え技術の進展により、このスイッチに連動し光や蛍光を発するような微生物を作り出し、センサーとして利用することが可能になっています。例えばホタルの発光タンパク質やオワンクラゲの蛍光タンパク質の遺伝子をレポーター遺伝子としてヒ素を感知するスイッチと連動させた研究例があります。しかしながら、センサーシグナルである光や蛍光などを検出するためには専用機器が別途必要とされ、そのことがセンサーとしての簡易性を損なうことになりかねません。そこで私たちはセンサーのシグナル検出に専用機器を必要としない新規レポーター遺伝子として、微生物のカロテノイド合成酵素遺伝子に着目しました。カロテノイド色素はトマトやカボチャ、ニンジンなどに含まれる赤色や黄色の色素で、光合成細菌と呼ばれる微生物にも合成する能力があります。この光合成細菌のカロテノイド合成酵素遺伝子を改変し、ヒ素を感知して遺伝子の機能をオンにするスイッチとカロテノイド合成酵素遺伝子を連動させ、ヒ素に応答して自身の色を変化させる微生物センサーを開発しました。

 

研究の内容

微生物センサー作製の手順を図2に示しました。まず、光合成細菌Rhodopseudomonas palustrisのカロテノイド合成酵素の一つであるフィトエンデヒドロゲナーゼ遺伝子(crtI)を破壊した色素変異株を作製しました。通常、野生型の培養液はカロテノイドに由来する鮮やかな赤色を呈していますが、crtIを破壊した変異株を培養すると赤色カロテノイドが合成できなくなるため培養液の色が青緑色に変化します。次に、ヒ素を感知するスイッチcrtIを連結したセンサープラスミドを色素変異株に導入して微生物センサーを育種しました。微生物センサーは水中にヒ素が存在しない場合には緑色を呈しますが、ヒ素を感知するとcrtIが発現し、細胞内で作られたカロテノイド合成酵素により赤色カロテノイドが合成されるので微生物自身の色が赤色に変わります。

PR2008-9_Fig2

図2:まず、野生株(a)のカロテノイド合成酵素フィトエンデヒドロゲナーゼをコードする遺伝子であるcrtIを破壊してcrtI破壊株(b)を作製します。crtI破壊株は赤色カロテノイドが合成できないため自身のバクテリオクロロフィル由来の青緑色を呈します。crtI破壊株にヒ素の感知スイッチおよび破壊したcrtI遺伝子を連結したセンサープラスミドを導入しセンサー株(c)を得ます。ヒ素が無い場合(d)、ヒ素の感知スイッチが応答しないためcrtIが発現せず、crtI破壊株由来の緑色を呈しますが、ヒ素がある場合(e)はヒ素の感知スイッチが応答し、crtIを発現させるのでcrtIの機能が復活し、野生株由来の赤色に近づきます。

水に様々な濃度の亜ヒ酸を加え、24時間微生物センサーとともに培養したところ、亜ヒ酸濃度1~5 ppb付近から急激に色が赤色へ変化し、それ以上の濃度(5~500 ppb)でも赤色に変化することがわかりました(図3A)。この色変化のメカニズムを確かめるため、亜ヒ酸非添加時および亜ヒ酸添加時に蓄積されるカロテノイドを抽出し高速液体クロマトグラフィーによってその含量を比較しました。結果、亜ヒ酸非添加時を基準として、CrtIタンパク質によって合成される赤色カロテノイドであるリコペンの含量が亜ヒ酸添加時においておよそ2倍高いことがわかりました(図3B)。このことから、亜ヒ酸添加時にCrtIタンパク質がリコペン含量を増加させることが微生物センサーの色の変化の原理になっていることがわかりました。

PR2008-9_Fig3

図3A: 微生物センサーに様々な濃度の亜ヒ酸を加え、24時間培養した結果の写真。亜ヒ酸濃度が1~5ppb付近で急激に色が赤色に変化することがわかりました。


図3B: ヒ素非添加時とヒ素添加時における微生物センサー内カロテノイド含量の比較。フィトエンデヒドロゲナーゼCrtIは無色のカロテノイドフィトエンから4ステップの反応を触媒し、1ステップ進むごとに徐々にカロテノイドに色が生じていきます。フィトフルエン、ζ-カロテン、ニューロスポレンという黄色カロテノイドを経て最終産物であるリコペンで赤色に変化します。ヒ素非添加時の微生物センサー株内のカロテノイドを基準とすると、ヒ素を添加することによりCrtIが合成する赤色カロテノイドであるリコペンの含量が約2倍に増加することがわかりました。

今後の展望

本微生物センサーはシグナルの検出に専門機器を必要としないため、専門知識がない人にとっても扱いやすく、また目で汚染を判定できるため、地下水のヒ素汚染を簡易的に検出できる方法として実用化が期待されます。

 

用語解説

ppb (parts per billion) : 10億分の1を表す単位。1 ppbは1 μg/L。

μg: 1 gの百万分の一(10のマイナス6乗 グラム)

カロテノイド:動植物や微生物に幅広く存在する黄色や赤色の色素の総称。代表的なものにトマトに含まれる赤色の色素リコペンや、カボチャやニンジンに含まれる橙色の色素β-カロテンなどがある。

ヒ素を感知するスイッチ:1)遺伝子の転写に必要なプロモーターDNA配列、2)プロモーターDNA配列に重なるオペレーターDNA配列、3)オペレーターDNA配列に結合するリプレッサータンパク質をコードする遺伝子、で構成されます。ヒ素が存在しない場合はリプレッサータンパク質がオペレーターDNA配列に結合し、プロモーターによる転写を阻害します(スイッチオフ)。ヒ素が存在する場合はヒ素とリプレッサータンパク質が結合し、リプレッサータンパク質がオペレーター配列から解離するのでプロモーターからの転写が開始されます(スイッチオン)。

 

本件に関する問い合わせ先

宇都宮大学農学部 生物生産科学科・微生物工学教育研究分野
(宇都宮大学バイオサイエンス教育研究センター 兼任)
准教授 前田 勇(まえだ いさむ)
Tel: 028-649-5477(研究室)