ビール麦の大敵 縞萎縮ウイルスのゲノムを一挙に3系統も決定!

投稿者: | 2008年9月8日

宇都宮大学バイオサイエンス教育研究センターの西川尚志助教および夏秋知英センター長(農学部教授兼任)らは、栃木県農業試験場栃木分場とともに、栃木県が全国トップの生産高を誇るビールの原料となるビール麦(二条大麦)に病気を引き起こすウイルス(オオムギ縞萎縮ウイルス、Barley yellow mosaic virus: 以下BaYMVと表記)の全ての系統の塩基配列を明らかにしました。その結果、各系統の系統関係を明らかにし、また、病原性に関与する遺伝子(VPg)のタンパク質の立体構造の予測から、系統間における病原性の違いを考察しました。
この研究成果はBaYMVの系統を迅速に識別する方法を確立するだけでなく、今後のウイルス抵抗性品種の開発につながるものと期待されています。

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この論文は、Archives of Virology(153巻9号)に掲載されました。

研究の背景と目的

農林水産省の統計によると全国の平成19年産二条大麦の作付面積は35,500haで、そのうち栃木県(9,290ha)は佐賀県(9,620ha)と並んでダントツのトップ2を形成しています。また栃木県には全国で唯一の公立のビール品質検定機関である県農業試験場栃木分場があり、県を代表する産業であると言えます。

BaYMVはビール麦に感染すると葉にモザイク症状を起こし、ひどい時は黄化、萎縮し、生育不良のため圃場全体で収穫不能になります(写真)。BaYMVは根に絶対寄生する菌(Polymyxa graminis)によって媒介され、休眠胞子は根に大量に作られ10年以上も安定して存在するため、いったん病気が発生するとその圃場のウイルスを土壌消毒により無毒化することは不可能です。そのため、現在最も適切な防除法はBaYMV抵抗性品種の作出に限られています。

PR2008-6_Fig1(写真)BaYMVに感染し、モザイク症状を起こした葉(左) 抵抗性品種との違いは一目瞭然(右)

しかし、BaYMV抵抗性品種の抵抗性遺伝子の実体が不明であることや、抵抗性品種の選抜には交配で得られた多くの個体を実際の発生圃場に植えて発病するかどうかを観察するしかありません。すなわち、1年に1回しか接種試験が出来ないため、BaYMV抵抗性品種の育種には時間がかかるのが現状です。

BaYMVの系統はビール麦の各品種に対する反応から現在のところIからIVに分類されています(表)。近年、栃木県南部において、作付面積および収穫高が日本一を誇るミカモゴールデンに感染するウイルス(III型系統)の被害が拡大しています。そこで我々はウイルスが病気を起こすメカニズムの解明と、ウイルスに強いビール麦の開発に向けた研究を開始しました。

表 BaYMV系統に対する各品種の反応
PR2008-6_Table1R:抵抗性、S:罹病性、?:不明

研究の内容

ウイルスが病気を起こすメカニズムを解明する方法の1つとして、ビール麦のある品種に感染できるウイルスと感染できないウイルスを比較する方法があります。つまり、両ウイルスはゲノムの塩基配列に違いがあるはずで、その違いを調べることで植物に感染するために必要な因子が特定できる、ということです。我々はウイルス全系統のゲノムの全塩基配列を決定したことから、感染能力に関する比較解析が可能となりました。

また、各系統の系統関係を調べることも可能となったため、ウイルス粒子の外被タンパク質(CP)のアミノ酸配列を用いて分子系統樹を作成しました。その結果、I型系統は中国系統に近いこと、II型系統は韓国系統に近いことが明らかとなりました(図)。

PR2008-6_Fig2
図 CPのアミノ酸配列を用いて作成した分子系統樹
枝の横の数字は信頼性を%で。左下のスケールは変異の度合を示している。

次に、BaYMVにコードされる遺伝子ごとに、各系統間での相同性を調べたところ、VPgにより多くの変異があることが分かりました。そこで、VPgの立体構造の変異を調べるため、二次構造予測を行ったところ、いくつかの違いが見られたことから、立体構造も系統間で少し違う可能性が示唆されました。立体構造が違うとその機能が少し変わるため、もしかすると植物の翻訳開始因子(特にeIF4E)との結合力が変わり、これが感染の有無の違いとなっているのかもしれません。

 

今後の展望

ウイルス抵抗性品種に感染できるヨーロッパ系統のBaYMVではVPg内の1つのアミノ酸が変異していたという報告があります。つまり、VPg内のほんのわずかな変異で抵抗性を打破する可能性があるのです。例えば現在スカイゴールデンは全ての系統に抵抗性を示しますが、近い将来スカイゴールデンを犯すウイルスが出現する可能性があるのです。そのため、ウイルス感染のメカニズムを詳細に解析し、植物により効果的な抵抗性を持たせることが重要であると考えています。また、現在オオムギにはBaYMV抵抗性遺伝子として10数個見つかっていますが、日本での育成に使われているのはrym3rym5など、ほんのわずかです。他の遺伝子も利用することで、より効果的なウイルス対策となることが期待できると思います。

 

用語解説

CP:ウイルスは通常「ウイルス粒子」と呼ばれる状態で存在している。ウイルス粒子は主にゲノムであるDNAまたはRNA(BaYMVはRNA)と、その周りを覆う数多くのCP(coat protein、外被タンパク質)というタンパク質から成る。そのため、ウイルスの生物学的な性質はCPの性質による部分が大きいため、一般にこのCPのアミノ酸配列を用いてウイルスの分類が行われている。例えば2種類のウイルスのCPが80%以上似ていたらこれらは同種であり、80%未満であれば異種とする、など。

分子系統樹:時間の経過とともに遺伝子の中の塩基に変異が起こる(それらの変異のいくつかはアミノ酸の変異となる)と考えると、ウイルスの各系統間でCPの変異の具合を調べることで、それらの遺伝子の進化の仕方が分かるため、それを元に系統樹が作成できる。進化は個体レベルだけではなく、遺伝子ごとに調べることができるため、このような分子レベルの系統樹のことを分子系統樹という。

VPg:BaYMVを含むPotyviridae科ウイルスでは、ウイルス粒子中でゲノムRNAの端にVPgというタンパク質が結合している。VPgは植物の翻訳開始因子と結合することで植物に感染することができ、逆にVPgが翻訳開始因子に結合できないとウイルスは植物に感染出来ないことが知られている。

翻訳開始因子:mRNAからタンパク質を作る際に活躍する、細胞内の装置のこと。この装置はたくさんの部品(タンパク質)からなり、特にキャップ(またはVPg)と結合する部品をeIF4Eと呼ぶ。eIFiso4EはeIF4Eの仲間で、ウイルスの種類によりeIF4E を利用するものとeIFiso4Eを利用するものがあり、BaYMVはeIF4Eを利用する。